石山寺 紅葉

 高階兄妹とそれに関わる諸々の者たちとの戦いが終わってしばらく経ったある日、道満と八百比丘尼は晴明の邸に呼ばれた。但しいつもと違うのは、道長と蔵人頭が上座に座り、二人は彼らと向かい合う形で、そして晴明がそれを横から眺める形で座しているところだった。
 晴明が口を開く。
「すまんな、二人とも。それでは始めましょうか」
 それに蔵人頭が続ける。
「この度の戦いは本当にご苦労であった。頼光どのとその配下、保昌どのの働きぶりも素晴らしかったが、晴明どのとそなたたちは特に目覚ましいものがあった。それに帝も大変感銘され、そなたたちに名誉官吏の称号を授けようという話になった」
 道長が更に続ける。
「長年にわたる都での働きに加え、この度の活躍ぶり、しかと見させてもらった。どうだ、悪い話ではないと思うのだが」
 しかし道満の答えはこうだった。
「ありがたき幸せに存じますが、我々は常に庶民とともにありたいと思って参りました。私が陰陽寮での出世を蹴って今の道を選びましたのもそれゆえ。従いましてご辞退させていただきたく思います」
 意外な返事に道長と蔵人頭は慌てた。
「いや、毎月の給金は朝廷から支給させてもらう。それだけでもいい話ではないかな?」
 道長が言うと今度は八百比丘尼が、
「私も既に六回の還暦を過ぎ、更にまだ五百年近く寿命が残っております。その間ずっと頂けるものでもないでしょう。庶民からのささやかな謝礼で十分暮らせております。私も道満と同じくご辞退を」
 そして二人は立ち上がり、その場を後にした。
「ちょ、ちょっと、二人とも…」
 蔵人頭が立ち上がって引き留めようとしたが、二人は邸の門に向かってまっすぐ立ち去っていった。

「はあ、毎月の給金なんて言ったって、どうせ俺らは女郎屋と酒で消えてしまうのにな」
 邸の玄関先で道満が言うと八百比丘尼も、
「巫女長様たちや三河屋さん、それに桔梗も貢献してんのに、私らだけ頂くわけにはね」
 そこに晴明が追いかけてきた。
「お、おい、お前ら。本当にいいのか?」
「わかりきったこと。俺らは今まで通り好きなように仕事させてもらう」
「それより何で追いかけてこられたんですか?まさか道長様がお怒りとか?」
 二人に続いて晴明が言う。
「そうじゃない。こうなることは最初からほぼわかっていた。でも道長様はとにかく一言礼が言いたかったとのことだ」
「そうか、また大層に呼びつけるから、俺に文句があるんかと思った」
 道満がそう言うと同じくらいに、邸に向かってくる男女の姿があった。高階光子と円能だった。但し光子は髪を肩ぐらいで切り揃えた尼削ぎにして法衣をまとっている。そう、八百比丘尼や定子と同じ格好だ。
「おお、光子様に円能、いったいどうして?」
 道満が問うと光子は、
「これまで父の亡魂に操られていたとはいえ、私も兄も多くの人を巻き添えにしてその命を奪いました。兄は一足先に仏門に入っておりますが、私も後を追って出家し、亡くなった方々の菩提を弔いたいと存じます」
 そう言って手を合わせると、いつの間にか現れた桔梗が、
「光子様、どうか烏頭女の魂も救われるようお願いします」
「ええ、もちろん承知しております」
 そこで晴明が、
「円能、お前は都から追放ということだが、これから大変だな」
「ああ、だが私としては元の生活に戻るだけだ。しばらく諸国を放浪して、今度は困った人たちを助けて回ろうと思う」
 円能の答えは至って簡単だった。
「まあいいじゃないですか、下鴨神社もギリギリ洛外だし、鴨川の向こうで暮らしていただいても」
 そう言う八百比丘尼に円能は、
「そうもいかない。いつまでになるかは読めんが、頭を冷やす期間も必要だ」
「そうか、じゃあ円能、もう戦うこともないだろうし、これから健康でいることを祈る」
 そう言って晴明が握手を求め、円能はそれに応じた。そして二人と晴明たちはかわるがわるに握手し、肩を叩き合い、お互いの多幸を念じ合った。
「桔梗、お前はこの三人をはじめ素晴らしい仲間たちが出来た。仲良くするが良い」
 円能の言葉に励まされ、桔梗はうなずいた。
「ありがとうございます、円能様。そして光子様もお元気で」
 光子と円能は深々と頭を下げ、桔梗も加えた四人に見送られて邸を後にした。

 それから数日後、近江の石山寺で紅葉を眺めている男女の姿があった。道満と楓子である。
「楓子さん、今年はいい色づき具合ですね」
「ええ、本当に見頃を迎えていますね」
 戦いが終わった後、二人で紅葉を見に行く約束をしていたのだ。桔梗が「近江なら湖東にいい見どころが多いから」と教えてくれたのでまずそちらを回り、やがて都に近い石山寺へと戻ってきたのだ。
「紫式部先生もここにはよく来られてるんですってね」
 楓子が問うと道満は、
「作品のネタに詰まった時はここがいいらしいですね。特に望月の夜は」
 そうして二人の談笑はしばらく続いたが、寺名の由来となった大きな硅灰石の前に来た時のこと。
「楓子さん、ちょっとお待ちを」
 と言うと道満がどこからか筆と紙を取り出し、一首書いた。
「もみぢ葉の 萌ゆる石山 我が想ひ 巌となりて 君に添いぬる…これからも一緒に、紅葉を見に来ていただけませんか…夫婦(めおと)として」
 楓子はにっこり微笑み、道満から筆と新しい紙を受け取り、返歌を書いた。
「石山に 萌ゆるもみぢ葉 我舞ひて 君に降りけむ 千代に八千代に…はい、喜んで」
 道満は楓子の手を握り、続けてその体を抱きしめた。

「やったーっ!」
 清少納言の邸で、晴明と八百比丘尼が手を握りあって小躍りしていた。
「どうされたんですか?」
 綱と金時が問うと、晴明は、
「いやね、道満が楓子さんと紅葉を見に行ったでしょ。それから特に動きもなさそうだから私と八百比丘尼が脳波で探っていたんですよ。そしたらあいつ、朝から何だか武者震いが止まらないもんだから、これは!と思ったんですよ。そしたら今しがた贈答歌を交わして求婚して…なんと受け入れてもらえました」
「おお、それはめでたい!」
 そして晴明と八百比丘尼、清少納言、綱、金時、いつの間にか現れた三河屋、幻影の忠行が万歳三唱をした。
 八百比丘尼がその後、
「いやあ、あのまま道満がモタモタしてたら私、何やっとんじゃボケ!はよせんかい!って尻叩くつもりだったんですよ。でも、自分の力でああやって求婚して、受け入れてもらえて、私もう、嬉しくて嬉しくて…」
 そして彼女の目から大粒の涙がボロボロとこぼれた。清少納言も、
「八百比丘尼様、私もですよ。今までいい話が何度もあったのに断り続けた楓子ちゃんにやっとそうして結ばれる人が出来たなんて、私、もう…」
 そして二人が抱き合って大声で泣き出した。
「いやあ、良かった良かった。ところで桔梗、お前そんなとこで何してんだ?」
 忠行が尋ねた通り、桔梗は座敷の隅で立て膝つきながら盃をチビチビやっている。
「私はどうも色恋の話は苦手でしてね」
「いやそれでもあの二人がああなれば嬉しかろうに」
「そりゃめでたい話ですよ。でも陰陽師になってからそういうの諦めた私にはね…」
 そこに八百比丘尼がやってきて、
「桔梗、何一人で冷めてんのよ」
 と言って…なんと、桔梗の黒い巫女装束の襟をグイと広げ、胸元に手を差し入れたのだ。
「ちょ、ちょっと、何すんのよ…あっ…でも気持ちいい…」
 八百比丘尼の手は更に奥に入れられる。
「あっ…ダメ…そこは…私、百合じゃないから…」
 桔梗の顔が紅潮してきたのを見計らって八百比丘尼は手を引き抜いた。
「フフフ…私もその気はないわよ。あー楽しかった、百合ごっこ」
 そう言いながら爆笑した。だが桔梗はそれで済まなかったらしく、
「楽しかったじゃないよ!人の乳首指で挟んでクリクリしといて…性感帯なんだからやめなよね」
 そして乱された襟元を直し、赤面しながら胸を押さえた。
「あー、何かえらいもん見てもうた」
 三河屋が照れ笑いしながら言う。桔梗はそれに続けて、
「清少納言先生、楓子さんは道満と一緒に住むんでしょ?空いた後に私住ませていただけませんか?この人と一緒だったらいつこんなんされるかわかったもんじゃありません」
 だが清少納言は笑いながら、
「どうせそれまでに飲んで飲んでコテン、ですから大丈夫ですよ。今までそうだったんでしょ?」
「まあ、それはそうですけど…」
 その様子に全員が笑いあった。

 道満と八百比丘尼が名誉官吏の称号を断り、光子と円能を笑顔で送り出し、道満は楓子への求婚が成功した。めでたいこと続きである。

 …これで終わりではなく、まだ次回があるのだ。