ホタルンガ

 ある日、高階邸では光子が珍しく激昂していた。
「もう我慢がなりませぬ。兄上、我らの目的は中関白家再興のために邪魔な道長を暗殺することのはず。なのに小蝿のような連中との戦いで尖兵となった者どもを失うばかり。ここは道長暗殺に精力を傾けるべきではありませんか?」
「うむ、邪魔になる晴明たちを倒すことばかりに気を取られていたが、本来の目的はそちら。いい加減道長を消してしまう方が大事だな」
 信順が答えると、光子はそれに続ける。
「そうでしょう?事実上の朝廷の頭を失えば奴らも大打撃に違いありませぬ。円能どの、一刻も早く呪詛をお願いします」
「はっ、承知しました」
 円能がそう答えると、烏頭女が慌てた。
「とは言え、あいつらは邪魔立てに出てくること間違いありません。如何致しましょうか?」
「妖古代獣に暴れさせて奴らの注意を引き、道長から遠ざけることではないですかな?」
 円能の答えに長髄彦が、
「うむ、それも良い方法だな。では皆の者、それぞれの準備にかかれ」
「はっ」
 そしてそれぞれが呪詛や妖古代獣による戦闘の準備にかかった。

 宮中では晴明が道長に語り掛けていた。
「まだ公には出来ませんが、彰子中宮様に懐妊の兆候が見られます。しかも健康な男子がお生まれになります」
 晴明が明るい未来を予知したことで、道長の顔がほころんだ。
「おお、そうか。彰子になかなか子供が出来ぬゆえ、敦康を将来の帝にせねばならぬかと思っていたが、私の孫とあれば堂々と外戚になれるな」
 敦康親王は定子皇后の子であり、定子が出家すると同時に彰子に預けられたのだが、彰子は我が子同然に可愛がり、道長も情が移って同じく可愛がっていたのだ。しかし自分の血を引く孫が出来るとあれば将来の皇位に就く者としてそちらに愛情が移ることは間違いない。
「いやあ、これはめでたい知らせだ。しかし敦康には可哀想なことになってしまうな。まあまだ先のことだからいいか」
 道長がそう言った時である。
「うう、苦しい…」
 彼は突然苦しみ出した。胸を掻きむしり、顔面蒼白になっている。
「どうされました?道長様!」
 晴明が寄り添い、それが呪詛によるものだと察知した。
「円能が呪いをかけているようだ。ならば術返し!」
 そして晴明はそれに対抗する呪文を唱え出した。
 が、そうそう事は順調に進まない。晴明の肩にどこからか飛んできた短剣が刺さった。
「桔梗!」
 短剣の飛んできた方向を見ると、物陰から桔梗の姿が見えていた。
「晴明、円能様の術を跳ね返させはしないよ」

 高階邸では円能が呪詛を続けている。
「どうやら彰子中宮が懐妊したようです。だがここで道長を殺せば朝廷も総崩れですな」
 そして引き続き呪文を唱えるが、烏頭女が不敵な笑みを浮かべた。
「中宮が懐妊か。良いことを聞いたぞ」

 彰子の懐妊など知る由もない女官たちはいつも通り文芸教育をしていたのだが、
「う、胸が、胸が…」
 突然苦しみ出した彰子の周りを女官たちが取り囲み、
「どうされました?中宮様」
 紫式部が声をかけた。彰子の顔色は見る見る青ざめていた。
「ううう…」
 近くにいた敦康親王までが同様に苦しんでいる。
「これは何者かが呪いをかけているに違いありません」
 赤染衛門がそう言い、晴明を探したが、道長にかけられた呪いを返すために肩に短剣の刺さったままその呪法を続けている。
「ああ…どうすれば…」
 だがその危機を救ったのは意外な人物だった。
「烏頭女め、関係のない女子供にまで呪いをかけるとは。ならば私も術返し!」
 なんと桔梗が彰子と敦康にかけられた呪いを跳ね返す呪文を唱えているのだ。
「き、桔梗!」
 伊勢大輔が驚きの声を上げた。そして呪いは収まったのか、桔梗は一同の方を向いて声をかけた。
「もう大丈夫。あとは晴明が道長様にかけられた呪いを跳ね返すだけ」
 一方の晴明も、対抗する相手が円能ということもあって苦戦していたが、ひときわ大きく力を込めて念じたのが功を奏し、完全に呪いをはじき返したようである。
「桔梗、お前まさか中宮様と親王様を…」
 晴明がやっと肩の刀を抜きながら桔梗に話しかけた。
「ああ、本来の目的である道長だけならともかく、罪もない女子供にまで呪いをかけた烏頭女が許せなかった、それだけだよ」
「円能のみならず烏頭女までもが…これは大変なことになったな」
 そこに保昌が刀を持って現れた。
「桔梗、なぜお前がこんなところに。この場で成敗してくれよう」
 そして刀の柄に手をかけるが、和泉式部が間に入って止めた。
「お待ち下さい保昌様!桔梗どのは中宮様と親王様を助けてくれたんですよ」
 敦康もそれに続く。
「そうだよ、このお姉さんはいい人だよ」
 そう言われて保昌は刀から手を退けた。
「いい人…この私が…」
 複雑な表情をして桔梗はその場を去った。

「おのれ桔梗め、裏切りおったな!」
 高階邸では烏頭女が激しい怒りの表情になっていた。
「土蜘蛛、手力男、すぐに妖古代獣を用意せよ。そしてそなたたちも配置に付きなさい」
「はっ!」
 そして二人はその場を離れた。
「道長のみならず中宮や親王にまで呪いをかけるとはやりすぎでしょうに」
 光子がそう言うが、烏頭女は聞く耳を持たない。
「朝廷を崩壊させる絶好の機会だったのに。裏切者は許さん!」 

 その夕方、清少納言の邸に八百比丘尼と綱、金時が集まっていた。
「円能が道長様に呪いをかけたようですが、晴明様が食い止めて事なきを得たようです。物騒なことになりましたね」
 八百比丘尼が言うと金時も、
「奴ら、とうとう本腰を入れ始めましたね。これは心してかからぬと」
 そこで綱が、
「ところで道満と楓子さんは?」
 清少納言がそれに答える。
「二人で鴨川の河原に行っております。まあここは見守りましょう」
 だが八百比丘尼の表情が硬くなった。
「不吉な予感がする…大変なことが起こりそうです」

 清少納言が言った通り、道満と楓子は鴨川の河原に腰かけて語り合っていた。
「楓子さん、寒くないですか?」
「いえ大丈夫です。先生のお話はいつも楽しいですわ」
「いや私の冗談のことじゃないんですが…」
 などと話していると、楓子が何やら珍しいものを見つけたようで、
「あら、蛍。なんとまた季節外れな」 
 楓子が蛍の飛んでいるのを見つけたようである。
 だがそんな平和な光景もそこで終わった。蛍が川の方へ飛んで行き、そこに巨大な化け物が現れたのだ。姿形は異なるが、光る尾を持った様子は蛍を思わせた。
「また出たか化け物め!」
 そして道満が呪文を唱えて対抗するが効き目がない。やがて化け物…妖古代獣は尻尾を二人の方に向け、光とともに二人を吸い込んだ。
 その様子を見ていた配達帰りの三河屋が、
「あららお二人さん、えらいこっちゃ…なんて言ってる場合ちゃうわ」
 そして手押車を妖古代獣に向け、取手を思いっきり下げて数本の矢を放った。
「こんなこともあろうかと思ってな、配達用のにも細工してあるねん」
 だが火もついていなければ本数も少ないのでほとんど効き目はなかった。

「フフフ、道満よ。愛する者と一緒に閉じ込められていい気分だろう。この鬼蛍の尻尾はな、内側からどんなに刀で斬りつけようが術を使おうが抜け出せないようになっているのだ」
 土蜘蛛が戦闘時の蜘蛛の顔で呟いた。
 その言葉通り、道満と楓子は鬼蛍の尻尾の中に閉じ込められ、道満が刀で斬りつけても術を使っても全く受け付けないのだ。
「いかん、こいつは八百比丘尼に…」
 とテレパシーを送ろうとするが、それも遮られてしまうようで、全く外部と連絡が取れない。
「どうしたことだ、脳内会話も出来ないとは…」
 だがその時、外から声が聞こえた。
「道満どの、助けに来ましたぞ」
 金時の声であった。二人が鬼蛍の尻尾に吸い込まれるところまで透視で見ていた八百比丘尼が綱と金時を連れてきたのだ。そして金時はその拳や手刀で、綱は刀で攻撃するが、やはり効果がない。八百比丘尼も念力を発動するがそれもまた同じことだった。
 だがその時であった。
「そいつの尾は馬鹿力も刀も、そして八百比丘尼の念力も効かないよ。河内連中の呪文じゃないとね」
「桔梗!」
 三人が驚きの声を上げた。
「あんた、また邪魔しに来たのか?」
 八百比丘尼の問いに対する桔梗の答えは意外なものだった。
「いや、道満がこんな形で閉じ込められたら、あんたと勝負どこじゃない。あくまで公平じゃなきゃね」
「でも、河内の連中の呪文しか効かないんじゃあ…」
「大丈夫、私が盗み聞きして覚えてるから」
 そして桔梗が呪文を唱え、鬼蛍の尻尾に指を向けて光を放った。尻尾は縦に避けて道満と楓子は無事に出てきた。同時に鬼蛍の姿もかき消すように見えなくなっていた。
「楓子ちゃん、先生、無事で良かった…」
 いつの間にか三人の後ろにいた清少納言もその姿を見て安堵したようだった。
「いやあ、良かったですよ。いつもの火矢発射台みたいなわけにはいかんから、どないしよ思ってたんですがね」
 三河屋も同じくのようだった。
「しかし誰が助けてくれたんだ?」
 道満が問うと八百比丘尼は、
「桔梗だよ。勝負は公平じゃなきゃって、河内連中の呪文を使ってくれたのよ」
「桔梗、すまんな。まさかお前が助けてくれるとは」
「感謝されるほどのことはないよ。私はこんなやり方は嫌いだから」
 桔梗が照れ笑いしながらそう言った時のこと。
「うっ!」
 桔梗の背中から胸にかけて刀が刺し貫かれていた。
「き、桔梗!」
 一同がそちらを見ると、後ろに立っていたのはなんと、烏頭女であった。
「烏頭女、お前仲間を…!」
 綱が憤慨して言うが、烏頭女は冷静に答える。
「仲間を裏切ったのはこいつだよ。私が中宮と親王にかけた呪いを跳ね返し、道満と楓子を救い出し、お前たちの有利になることしかやってない。それを裏切りと呼ばずして何と呼ぼう。こいつはもう用済みだ。お前たちの相手は残った面子でしてやるよ」
 そしてそのまま姿を消した。
「桔梗、大丈夫か?」
 そこにいる全員が倒れた桔梗に駆け寄ってくるが、背中から刺し貫かれて大丈夫なわけがない。流血とともに桔梗の顔は青ざめていく。

 桔梗は八百比丘尼との勝負を果たすこともなく、このまま死んでしまうのか?

 …次回へ続く。